屋根から降りたClarion(KERRYが見た世界)

自分自身を観察しながら、より自分を好きになる道程

「わたし」を自覚する境界線

少し間が空きましたが前回に引き続き、「観察」WSについての学びをシェアいたします。

「わたし」と「あなた」を分ける目に見えない心の境界線バウンダリーと言います。バウンダリーを明確に出来ればお互いの価値観を尊重した、良い人間関係を保てます。「わたし」と「あなた」の間に適切な境界線を引くことによって「自分」の問題と「他人」の問題、「自分」の責任と「他人」の責任、「自分がやること」と「他人がやること」をしっかり分けることが出来ます。

 私が忙しいのをわかっているくせに、手伝ってくれない

社会(国)がまともではないから、生活が出来ない

本当はやりたくないのに、Noと言えない

私が支えなければ、あの人は生きていけない

あの人ならやってくれるに違いない

など、他人に依存したり、支配しようとしたり、自分の期待を相手に投影したりすることで、「自分の課題」を見失ってしまいますが、バウンダリーを確認しお互いの存在を認め合うことで、自立し合いながら「向き合い」「話し合い」「愛し合う」ことが出来るようになるのです。状況に応じてバウンダリーにも「わたし」「あなた」以外に様々ありますが、そちらは心理学やカウンセリングの文献等でご確認いただければと思います。

今回はヒューマンデザイン的な視点で「条件付けの外し方」の一つの方法としての「バウンダリーにどう気付くのか」についてお伝えします。

バウンダリーに気付くとは感情を観察することから始まります。

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この図は以前受講させていただいた、アドラー心理学をベースとした平本式カウンセリングセミナーの資料を一部抜粋させていただきました。

「感情」は以前にもお伝えしたように、ポジティブ・ネガティブ含めて自分の「身体的な価値観」から外れた時に湧き上がるメッセージと言われています。特に怒りや恐怖などのネガティブ感情が湧き上がる時は、相手に対して防御的になったり攻撃的になったりして「依存」や「支配」「投影(相手への過度の期待)」が生まれやすくなっている時です。

また、感情は「何を自分事として捉えようとしているか」を示していて、その全てが「自分の課題」ではないはずなのに、感情の起伏の波に呑まれて自分事として受け取ってしまうのです。

「あの人が怒っているのは私のせいだ」

「私が片付ければ、あの人にあれこれ言われなくて済む、じゃあ私がやってしまおう」

となりがちです。そうならないために「感情」が湧き起こった状況を細分化して観察をしていくのです。

何に怒りを感じたのか(出来事)

どんな感情が湧き上がったのか(感情)

なぜ怒りが(恐怖が)湧いてくる、と思うか(思考)

そう思った私は何をしたのか(行動【反応】)

その行動によって次に何が起こったのか(出来事)

私は相手に何を期待しているのか(思考)

その出来事に対する相手の行動【反応】を見て聞いて、感情がどう変化したか(感情)

・・・

このように俯瞰目線で「出来事」「行動【反応】」「思考【マインド】」「感情」に区分けをして、その感情が起きた場面を出来るだけ詳細に体感覚も含めて「観察」をしていきます。出来事が起こった時間、季節、場所、着ていた服、体調、周りにいた人達の位置や視線など、あらゆる情報を感じながら4つに分類していきます。

このような観察を続けていくと、次第に自分の思考や行動【反応】のパターンが見え始めてきます。無意識に自分もしくは相手を卑下していたり、相手の感情を引き受けていたり、プライベートとビジネスでのパターンの違いを見つけたり、良くも悪くも様々な思い込みや信念に気付いてきます。そして自分の「本心」本当はどうなったらいいか、何に価値を置いているか、そのために何が出来るか、何をしなくていいか、いわゆる「わたし」という境界線の輪郭が見えてきます。そうすると次に同じ感情が起こった時に今までと違う思考・行動パターンに変えていくことが出来るようになり、以前お伝えしたマインドのセルフトークを変えていけるのです。俯瞰目線に立つことさえも、最初は何某かのビリーフ(信念・思い込み等)が影響して難しく感じるかもしれませんが、観察の経験を重ねることでバウンダリーが明確になると、精神的に独立した個人として、お互いを尊重できる関係になっていくのです。