屋根から降りたClarion(KERRYが見た世界)

自分自身を観察しながら、より自分を好きになる道程

セルフトークに潜む2つの価値観

引き続き「観察」WSの振り返りをしていきます。前回セルフトークにはマインドから起こるものと、身体から起こるものがあるとお伝えしました。

セルフトークには自身の価値観が眠っているのですが、マインドが描いている価値観に加えて、身体的な価値観が存在すると言われています。

 マインドから来るセルフトークは、セルフイメージや自分の世界観から来る価値観に基づいており、すでに言語化出来ています。「どうせ私は人から愛されていない」「私は決めたことは最後までやり遂げる」「私はいつも周りに助けてもらっている」等、自分で気付いている(意味付けている)顕在的な価値観とも言えます。

身体から起こるセルフトークは「身体的な価値観」に基づいている、感情や身体の反応を通して認識される潜在的な価値観で、「やる気が出ない」「落ち着かない」「胸が締め付けられる」など、価値観がズレている現状を、言葉ではなく「感覚」でメッセージとして自分に対して発信しています。そして自分がこのメッセージを理解した時に、この気分や感情が晴れて、自分の価値観として認識していくのです。

ただ、マインドは自分の身体も思うがままに支配したいと思っているので、その「身体的な価値観」をマインドの価値観の世界へと引きずり込もうとします。例えば「悲しい」「辛い」「嬉しい」などの感情は、実は身体が感じたことを言葉に変換した時点でマインドが介入しており、マインドがその言葉(感情)を選択し意味づけをしているのです。本当は悲しい、辛い、嬉しい出来事では無いかも知れないのに、です。感情や身体の反応があった時には、しばらくその感覚を味わい、時間を置いてマインドの介入を断つ作業を行っていきます。

f:id:clarion5157:20210709000932p:plain


 身体は「今ここ(現在)」の状態に価値を置き、マインドは「未来」に価値を見出している、と言われています。どちらが優れているということではなく、2つの価値観から来るセルフトークを観察することで、心と身体(意識と無意識)が統合された価値観から生まれるシグネチャーを感じることが出来るようになります。

私も日々セルフトークを眺めながら自分の価値観を確認しているのですが、最近これが「身体の価値観」なのかな、と思える機会が出てきました。試行錯誤を重ねながら、また体験をお伝え出来ればと思います。

次回は、「自分」と「他」を分ける「境界線」についてお話いたします。